2011年11月1日火曜日

The Milk Carton Kids


The Stung Pounds Of Dust

Words by Sean Moeller, Illustration by Johnnie Cluney, Recording engineered by Patrick Stolley, Translated by Teshi





























Milk Carton Kidsの楽曲に現れるキャラクター達の運命がどうなっていくか知る術はない。彼らがどういう風になってしまうか、全く予想がつかない。僕らは彼らのストーリーが部分的に与えられるけれど、あとは置いてけぼりだ。彼らが旅に向かうのと同時に僕らは彼らの事を聞くからだ。彼らが日没の中へ歩いて行く時や、凍えるような寒さの中へ再び足を進める時に彼らの事を聞いている。このロスアンジェルスのバンドの傑作セカンドアルバム"Prologue"に収録された楽曲のほとんどがそういった感じなのだ。Kenneth PattengaleとJoey Ryanが息を吹き込ませるキャラクター達は世界中に彼らがいた証拠を残して行く。足跡や指紋、彼らの考えや痛みをあらゆるところに置いていく。彼らは基本的にそれらを『痕』として残す。何故って?彼らが自分達がどこに行きたかったか知っているわけないじゃないか。誰が彼らを受け入れようか知っているわけないじゃないか。

光は次第に弱まり、足を引きずり回している。彼らは土を蹴り上げながら、道路へ足を踏み入れた。ただ去っていくだけ。それ以外にどうすることも出来ないから。Milk Carton Kidsの楽曲に現れる登場人物は去り行くタイプで、安定した存在は全く何もない。かつてそこには上手くいくと思った愛があった。今では、あるいは大抵は片思いの愛としてただそこに存在していて、そこには悲しみが後ずさりしている。誰もどうすればいいかわからない。誰もいつどこで何を間違えたのか確かではないし、事の始まりも同じような混乱から始まったのだった。それは怒り。怒りが新しく人生を始める者達の行動や振る舞いを作り上げる。彼らはもううんざりしていて、また新しく始めなければならないのならば、そうするまでだ。以前帰る場所でもあった愛しい人が恋しい。けれどそんな感情も無駄の様に感じている。傷跡は急なスピードで軽くなり、Ryanはこう歌う

「かつて一度感じた痛みを今は感じない」

それはこれ以上消費的にならないでおこうと自制している自分へのリアクションだ。もう何時間も考えていたことに時間を費やすのはやめようじゃないか。今後永久に、全ての物事は自分達の力で解決しなくてはならない。違うところにある光の中から幸せを見つけなければならないし、他の種類の幸せからにも光を見出さなくてはならない。リアビューミラーに移った姿と、どこかから去っていくこと--必ずしも出て行きたいからではなく、出て行かなくてはならないから--はメランコリックな彼らの楽曲で強く響いている。それが僕らを目覚めさせ、年をとらせる。それが僕らを今までよりも孤独に感じさせる。それが僕らを普通と違う暖かさで包み込む。何かとても親しみやすいものだけれど、長い間ずっと忘れ去られていた暖かさだ。"I Still Want A Little More"という曲には事態はそんなに悪くないという感覚があるけれど、そこには障害があり、そのパートが二つのハーモニーで歌われる。

「僕らの運は尽きて、もうどうしようもないっていう感覚にずっと縛られている/埃が1パウンド/聖なる戦い」

たとえ事態が酷くはなくても、完璧な人間になることと、物事が落ち着くことの間には亀裂が挟まっている。"Prologue"の中には朽ち果ててしまった人々があらゆるところに出てくる。彼らはいつか全てを解決するだろう。そう信じたい。多分絶対に知ることはないから、僕らは目の上に手を掲げまぶしい太陽を遮り、彼らがあの柔らかく燃えるオレンジ色の太陽の中へ去っていく所を見つめている。
The Milk Carton Kids Official Site

試聴・ダウンロード(月々$2のメンバー登録が必要です)

セットリスト
  1. I Still Want A Little More
  2. Michigan
  3. Milk Carton Kid
  4. New York




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