2011年6月6日月曜日

Patrick Wolf, Lupercalia

Patrick Wolf
Lupercalia

[Mercury / Hideout; 2011]

5.3

By Ian Cohen, June 2, 2011


「愛についての曲はポップミュージックでは共通のテーマだけど、今回僕は誰もやらなかった方法でアプローチをしたかったんだ。タイトルはバレンタインデイ近くに開催される古代の愛と繁殖の祭り、ルペカリア祭から取ったんだ。僕はオリジナルな存在でありたい。僕の一番の野心の一つがそれなんだ。やけに感傷的なレコードほど酷い物はあまりないからね。もしこのアルバムをTo Love: Patrick Wolf!(愛する人へ、パトリックウルフより!)なんて名付けたりしたらひどいよね」


これはPatrick WolfがLupercaliaの失敗点を指摘された時に、アルバムの良さを必死にアピールしている所である。彼が初期のゴスフォークの芸術家っぽい振る舞いをまだ続けているのは明らかだが、2005年のダークな曲調が続くWind in the Wiresでキャリアのピークに達してから彼はどうもポップのスターダムに立ちたいようだ。こういう欲望の爆発は魅力的な音楽製作の手助けになり得るが、アーティスト自身がポップミュージックと消費者より上に立っていると考えていたら成功する事はほとんどないだろう。そして残念な事に、彼がThe Magic PositionThe Bachelorでやったように、Wolfはオーディエンスと同じ視点で考えられず、リスナーのイマジネーションにほとんど訴えかけない、自意識過剰なレコードを作ってしまった。これではTo Love:Patrick Wolf!のタイトルの方が適していたんじゃないか。

最初はWolfのニューロマンティックポップへの先陣を切っての挑戦は良い動きかと思えた。"Accident & Emergency"や”The Magic Position"や今作の先行シングル"The City"ではキッチュで楽しい即効性のある楽曲だった。チーズボールのようなホーンの導入や、愛は物より勝るという意欲的な歌詞はうまい具合に80年代のニューポップを彷彿とさせた。でも"The City"のビデオのWolfがSanta MonicaのビーチでHollisterの広告のモデルみたいなのと浮かれ騒いでるみたいに、Lupercaliaの残りの曲は自意識に溢れていているが、致命的な物が欠けている。このアルバムがどれだけずうずうしく自己賛美しているかに、気づけていないのだ。

彼のレーベルか誰かが彼に「ハッピー」なアルバムを作れと命令していたかは否定できない。しかし、Wolfはまるで自意識が彼の一番つまらない曲を作る許可を与えてくれたと感じているみたいなのだ。そのとどめとなる(それが魅力的なのかもしれないが)”House"という曲で「今までで一番素晴らしい場所だ/愛だけが家を「我が家」と呼べる物にしてくれる」と歌い、愛の意味を知る"Together"では「これは一人ではできないや/でも一緒だともっとうまくいくよ」と最後の部分はわざわざハーモニーをつけて強調している。だからストリングスが苦しそうな"Slow Motion"という曲(「君と会う前は銀色の魚のキッチンの中で暮らしていた)でちょっぴり詩人ぽく表現しているのはおかしくきこえる。まあ、結果違う視点で同じ批判ができるけれど。

Wolfの最近の婚約が作品にインスピレーションを与えているのを考えても、このアルバムがとても客観的に聞こえるのは変だ。しかし気取ったピアノを使った物語調の"Bermondsey Street"はMadnessの"Our House"とLady Gagaの"Born This Way"の中途半端なバージョンみたいだ。いらただしいのは、調子のいい歌詞の並びを無視して考えるとWolfは他の全てではほとんどうまくやっているところだ。Lupercaliaの前半部分で彼はメジャーなメロディーの曲は得意だと証明してみせ、今ま
でで一番自信のある決定的な歌唱を聞かせてくれる。しかしWolfのほとんどのアルバムがそうであるように、結局Lupercaliaが進むごとに悲しい曲やワルツに心酔してしまい、楽曲を処理されたサンプルや散乱したストリングスで過剰に演出してしまう。"The Days"や"Slow Motion"といった曲はテンポの違いを除いては同じようなものだ。

Wolfを抽象的な存在として考えると、彼は間違いなく才能があり、野心的でスターになる素質がある。しかし彼のオリジナルな存在でありたいという願いはどんどんズレて行っているように感じる。最近グラムロックを性的指向がよく分からない演劇的な表現でミックスしているのは彼だけではない。Of Montrealの挑戦的な良いとこ取りのスタイルやDiamond Ringsの厚かましい告白体や、Lady Gagaの堂々としたメディア戦略と比べ、
Lupercaliaでの家庭的なWolfはうまく躾けられた感じにしか聞こえない。※tame,躾けるという単語はWolf(オオカミ)にかけている。

原文:Patrick Wolf: Lupercalia, Pitchfork










Lupercalia

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