2011年6月20日月曜日

The Head and the Heart:Daytrotter

Heads Come And Go, But Hearts…

Jun 17, 2011

Words by Sean Moeller
Illustration by Johnnie Cluney
Recording engineered by Mike Gentry
Translated by Teshi


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僕らはみんなこの二つのモノの関係を知りすぎている。一つは、首の上に引っかかっているモノ。もう一つは神経や配管のなかで鳥のように引っかかって捕われてしまったモノ(頭と心臓のこと)。これは幾度と無く問題にされてきた関係だ。この連結性は疑わしい。二つの間には未来像がないし、行き先ははっきりしていなく、曲がり角や、メッセージが意図したように伝わらない強情な誘惑に満ちている。このような心からの声は道中で火に焼かれ、天上の賢者は火が他の場所に引火する前に巨大なポンプ車に間に合わなかったりする。それは巧妙な関係で、何の変更も無しに、警告の記録とアドバイスを編集している。僕らはここでその問題を解決しなければ行けない。恥ずかしい失敗やささいな弱点についてはどうすることもできないけれど。いま出来る事は、ため息をついて、だれか、あるいは何かが答えを教えてくれるってことを忘れてしまうことだ。放っておくか、あるべき場所にそっとしておくのが一番なのだ。このシンフォニーに耽り、神聖な場所へ頭と心臓を鼓動させればいい。

SeattleのバンドThe Head and the Heartは色々な状況で様々な感情を持つ時の意味の誤解、その憎めない困惑を生き甲斐としている。彼らは会話の中に寂しさを含めず、「理解すること」は過大評価だというサインを彼らの目の中に流れる黄金の一筋の光の中から見つけ出している。彼らの音楽には馴染みの場所があり、おかげで彼らはある意味癒されている。また彼らが愛する、君を数えられないほど打倒するすごい歴史を持つ人々も登場し、それはリフレインを多いに楽しむ事ができる曲だ。その痛みを僕らは口ずさみ、違う記憶に思いを馳せる。"Coeur d'Alene"という曲で、歌い手のJosiah Johnson, Jonathan RusselとCharity Rose Thielenはこう歌う。「ああ、みんなが愛する人たちのためにする事と言ったら...」そして僕らはそれが何の答えになっていないとしても、これをあらゆる意味の答えとして受け止める。「つまりわかってるだろ」と特に文脈や具体性が無くても、彼らはそうやって簡単に言えばいいのかもしれない。そう、僕らはそれがなにか知っているし、言葉にしたら複雑で長いリストになるんだろう。みんな自分のハートのしもべであろうとするし、誰か特別な人のためのハートであろうとする。

頭が来て去って行った。僕らは彼らの事をほとんど気にしない。僕らは彼らを冷たくあしらう。このバンドはハートが反応したり、他のハートと密接な関係を感じたり独占欲を感じ始める時の僕らが感じる恐れを操ることができる。僕らは熊や子鹿になることができる(選べないかもしれないが)。「パパ、僕の手に銃を渡さないで/あの人達みたいになりたくない/僕は逃げて行かないよ/君が初めて言った事を聞いているだけなんだ/初めて聞くハレルヤみたいだ」彼らの歌と詞はやかましい音から生まれ、まるで彼らを幽霊のように仕立てている。僕らはどうすることもできず、どう接すればいいのかわからない。分かっている事は彼らはここにいて、怒らせないように気をつける事だ。放っておくのがいい。息をさせてあげよう。

The Head and the Heart Official site
Sub Pop Records

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