2011年6月8日水曜日

J Mascis:Daytrotter

Alone Is Not A Death Sentence, But Quite The Opposite

Jun 6, 2011

Words by Sean Moeller
Illustration by Johnnie Cluney
Recording engineered by Matt Oliver
Mastered by Sam Patlove
Translated by Teshi

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今日Jack Kevorkianが死んだというニュースが入った。幾度か病気になっていたために、彼にはDr. Deathというあだ名が付けられていた。最近ひどく病状が悪化し、肺炎と老衰のためについに亡くなった。彼はどんな人よりも死がくる事を理解していたし、ただ待つよりも素早く死を迎える方法があると知っていた。彼は20年以上も生活の質が夢見た物と違うという人々のために奉仕したと主張し、慢性の悪化するしかない病気に苦しんでいた。今日、Kevorkianの弁護士の一人がNational Public Radioに話した所、ほとんどの人々は肉体と信念の点で偽善者になると考えると指摘した。死が近づいていると知った時も、彼は自分で命を終えたりしなかった。自分の健康が危険な状態で、醜いシミみたいな存在になり、以前のような可哀相な人間の一部となってしまっても、自分で命を殺めたりしなかったのだ。突然自分がグロテスクな失敗作になってしまったとしても。「彼は自分で息をひきとろうとしなかった」と弁護士は理由を説明した。なぜならばみんながそれぞれの状況や個人的な理由で死と立ち向かうからだ、と。ある人は大きな手で死を迎え入れ、ある人は死に見つけられようとする。どこに隠れていようが、死は居心地がいい場所に好きなだけ居ようとするからだ。

※Jack Kevorkianは末期的安楽死を提唱した元医師。総計130人を安楽死させ「死のドクター」「死のカウンセラー」などと呼ばれた。自殺装置を開発したことでも有名。

J. Mascisはマサチューセッツ出身のグループDinosaur Jr.のギタリスト、リードシンガーとしてよく知られている。彼は自分から進んでいき、どこにいようが死に「終わり」を探させるような男である。 彼は寂しさや絶望について、愛してる人について歌うように歌うが、またかなり問題を抱えているようにも見える。一人になりたいと願う事は、死にたいという願いとは違うのだ。彼はただ心の安静を求めている。頭の中に友達が居て、彼を眠りに誘い込むハミングを歌ってくれる、そんな静けさを願っているのだ。このような歪んだ様々な影が彼の元へMr. Sandmanのようにやってくるのだ。

※Mr. Sandmanは眠りをもたらすとされる妖精。

Mascisの新しいソロアルバム“SeveralShades of Why"は誰かのトラブルや、失敗や考えに振り回されないで住む場所を見つける事の栄光の賛美歌だ。自分の時間で何を終わらせるべきか指示が出来る、そんな場所だ。彼は部屋の中に引きこもり、周りに何の魂もなく、自分の孤独と生きる、そんな才能を大事にしている。ラリったときの夢の場所かもしれない。彼は全ての物事の普遍的な一時性、長くは続かない事について歌っている。一生側に居るものは無いんだ、そしてそれでいいんだ、という事を。孤独である事の情熱と命についてのテーマはアルバムを通して続くが、Mascisがこの作品について悲しそうな風にはほとんど聞こえない。"Alone"という曲は、この眠そうでうるさい曲の中でアルバムの軸をなしてると言えるだろう。人生で必要な物に対しての、美しい考察がされている。彼はきっと毎日同じ物を食べて、同じTシャツを着て、同じ場所に行き、同じ人と会ったり会わなかったりするんだろう。そしてもしそのパターンと慣習があれば、もし自分が去ったときより混んでない場所に戻れるのであれば、永遠にそんな生活を繰り返すのだろう。彼は朝のコーヒーやその日に起こる事全てを楽しみにする人間であり続けるかもしれない。彼は運命や増え続ける細胞が許す限り生き続ける事が出来るのだ。死の方からやってこればいい。彼はEdie Brickellの"Circle"でこう歌う。「辞める/あきらめる/もう誰を満足させる事できないんだ/どうも/一人でいるのが最良のようだ/僕が一人のとき、それが一番いい」そしてこの男に反対を唱えるのはけっこう難しい。

J Mascis Official Website

試聴とダウンロードはこちら→
J Mascis/Daytrotter

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