2011年5月14日土曜日

Jessie J/ Who You Are




Jessie J/ Who You Are

2.0


アメリカでは、Jessie Jはなんの警告もなしにスポットライトに現れた。彼女の突然のスターダムには何とも心地悪い必然性みたいなものがある。まるで凄腕プロデューサーのDr. LukeとUniversal Music Groupの連中が僕らがどう願おうと「彼女は大きくなるべきだ」と法令を下したかのようである。今の所彼女はうまくやっている---シングル"Price Tag"はポップチャートやダウンロードを賑わせているし。が、彼女がアメリカのマーケットを引っ張ってくれるかどうかと言ったら、微妙な所だ。


Jessie Jは現在の音楽需要にはプラスの存在ではあるようだ。今のポップ界はすでに個性的な女性ポップスターで溢れている。ポストモダンディスコアーティストLady GAGA,獰猛なソウル女王 Beyonce,だらだらしたパーティーガールKe$ha、甘ったるい怠け者Katy Perry、サイボーグセックスシンボルBritney Spears、トラブルまみれの氷の女、Rihanna、永遠のかませ犬Robyn。Jessie Jはどちらかといえば謎である。彼女はどうも英国出身ということだけで特別視されているみたいだ。彼女のアクセントはパフォーマンスの垣間時々聞こえるだけだけども。彼女は良く言っても、ひどく馬鹿になったLily Allenのようであり、最悪なところ、テレビの歌のコンテストで君が大反対したくなるようなタイプに見える。このデビューアルバムでの彼女の曲の選択は歌のコンテストっぽさを増強してしまっている。まとまりがなく、歌の巧さを証明しようと全てのベース音を被ってしまっている。彼女がアルバム名を“Who You Are(それがあなた)"にしたのはとても皮肉である。なぜなら彼女は13曲のなかで首尾一貫したアイデンティティの主張を全くしなかったからである。


Jessie J、本名Jessica Cornishは自身ポップスターになる前にすでに作曲家として成功していた。特筆すべきはMiley Cyrusのヒット曲"Party in the U.S.A."をDr. LukeとClaude Kellyと共作したことだろう。どうもこの二人とは相性がいいようだ。Who You Areのなかで一番聞くに堪える曲が彼らとのコラボレーション作だからだ。褒めるほどでもないけれども---"Price Tag"はNelly FurtadoがSugar Rayと歌ってるみたいだし、"Abracadabra"はNatasha Bedingfieldの聞き苦しくないアルバム曲のように聞こえる。Cornishは残りの曲を様々な作曲家と共作していて、結果として充分で一般的な作りとなった。

時として、作曲家たちが型にはまった曲を書こうと必死になってるのがまるわかりだ。例えば"Casualty of Love"なんかは、Alicia Keysの名曲、"If I Ain't Got You"の複雑なメロディーとアンビエンス、ソウルと感傷的な響きが削ぎ落とされたバージョンに聞こえる。シングルになった“Do It Like a Dude"のダンスヒットをごちゃ混ぜにした感じはRobynの"Dancehall Queen"にそっくりなんだが、Robynの暖かみと人間らしさを嫌らしい威張り散らしに置き換えてしまった。アコースティックバラッドの"Big White Room"はシンプルに綺麗に仕上げようとしているんだけれど、だだくさでやりすぎの歌唱がぶち壊している。


Jessie Jは全く不快なキャラクターを演じているときが一番輝いているように見える。彼女もまた若いシンガーたちがどうしても自分がいい声だと証明するためによく使う、安易でニュアンスがない決まり文句にほとんどの場合従っている。時々イライラした甲高い歌い方をするのだが、それが少なくともかなり特徴的ではある。ガキっぽいロックナンバー"Who's Laughing Now"ではこれが度を超えてしまっている。この曲はモダンポップの強迫観念である「アンチ」攻撃の行き着く最低部になりえる。このトラックで彼女は初期の音楽をディスり、虐めていたという知人達を棚に上げている。彼らは彼女が成功してからは逆に興味を示すようになったようだ。自分を利用しようとしている人々を信じないのは公平な事だが、この歌詞では彼女の過激で辛辣な批判を表現するにはマイナーすぎる。この曲はユーモアが無い全く苛立たしい権利主張である。どんな批判も非難も全て合わせて彼女の自尊心を打ち砕こうと試みる人が鳴らす音である。"Who's Laughing Now"はモチベーションを上げる曲のように仕上げられているようだが、ナルシストで閉鎖的すぎて、歌い手の情けない恨みと常に認められたいという欲求を想像する事は難しい。


Cornishはロンドンの著名なBRIT SCHOOLの卒業生である。この芸術学校はAmy Winehouse, Adele, Katy B, Jamie Woon, Kate Nashなどの活躍している若い歌手をいくつか輩出している。おかしなことに、この歌手達のなかで、かなり明らかにCornishだけがPop Starになるために学校に通ったみたいだ。その安っぽさからわかるようにね。彼女もまた彼らのようにあか抜けていて、バランスがとれているのだが、独特のスタイルが皆無である。AdeleやWinehouseは同じくパワーハウス向けの声を持っているが、彼らは明瞭に得意分野を理解し、曲に深みと人間性を与えている。Jesse Jにそんな抑制力が少しも無いのだ。彼女の才能を表現するのに一番の方法を、Christina AguileraがJoni Mitchellに見えてしまうほど強烈な"Mamma Knows Best"のビデオ撮影をすることだと考えているのだから。


あのRebecca Blackの"Friday"のビデオがすごい速度でネット上を駆け巡っていた同週末、Jessie JはSaturday Night Liveのミュージカルゲストとして始めてのアメリカでの大プッシュを与えられていた。”Friday"が広まったのは、世界一最低な曲と呼ばれ、ドープな歌詞を馬鹿にされ、モダンポップを気取ったきまずい作風があったからだ。Blackの曲とWho You Areにある曲の一番の違いは、Jessie Jはみんなが期待するPopの形を正しく理解してる点、かわいそうなBlackは間違って理解している所だ。しかしこの「間違い」の中にJessie Jにはない人間性が見て取れる。たとえボーカルのミックスがむちゃくちゃであっても、Blackはちゃんと一人の明確な人間として聞こえる。また、"Friday"の歌詞がださいのは否定できないが、いままで素晴らしいポップソングがそうであったように、そこには曲をおもしろい、突っ込みたくなる、と感じさせるマジックがある。Jesse Jの歌詞がそれほど平凡で芸術性がないわけでは無いが、全体的に魅力に欠けている。彼女が自分を否定する人々にたいして苦々しい叫び声を上げていないときには、記憶に残らない同じような事を並べ、吐き気がするような"Rainbow"では意味不明な理想郷を歌ったりしている。Blackは史上最低のポップソングを歌い非難されているが、彼女はまだ13歳のアマチュアで、Z級の音楽会社がサポートしているのだ。もし君が馬鹿で、中身の無い音楽を非難したいのであれば、Jessie Jのほうが良いターゲットだ。


原文:http://pitchfork.com/reviews/albums/15246-who-you-are/






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