2011年5月25日水曜日

James Blake インタビュー Part II







Pitchfork (以後PF):アルバムについての批判などで失望したりしますか?


James Blake(JB):ビニール盤を使って聞くほども分析の経過やメディアの注目を覆すものはないね。それはまだ誰もやった事が無いし。それが面白い事なんだ。この音楽はビニール盤で聞いてもらうために作ったんだよ。このレコードをかけたときに、ビニール盤独特の音、見た目を感じる事ができる。

(Stevie Wonderの)Talking BookをiTunesできいてもビニール盤で聞くのと同じ効果を得る事が出来ない。僕がアルバムのテスト盤を手に入れて両方のサイドを聞いた時、初めて自分がやった事を驚くほど誇りに感じたんだ。一つの音楽としてとても満足していたんだけど、このアルバムの曲を一年間コンピューターに入れてた時にはそこまで感じる物はなかったから。ダブステップのシーンは僕にビニール盤の良さを教えてくれた。


PF:Tom Ewingはまたどのようにあなたの曲がそれぞれの曲の機微を見せるために作られているか、書いています。彼のアイディアでは、あなたは自身の音楽の作曲のプロセスを完成した作品と同じように聞いていると。そこで私はあなたが曲を書き終えた瞬間をどうやって知るのかな、と不思議に思いました。


JB:一つ作曲が終わった時、それは僕が(曲の中から)殆どの感情を引き起こしてしまったからという訳ではないんだ。それは、僕が実際の生活で正直になれない部分で、正直になるということなんだよ。話すことで自分の事にそんなに正直になる事は無いだろう?それって笑われる事なんだ。でも音楽では出来るんだよ。まだどうやって歌うことでそれができるか僕にもまだわかってないんだけど。今後変化して行く事の一つだよ。


PF:あなたの曲の歌詞の多くは、音楽が無ければ機能しないマントラの様でもあります。


JB:ああ、かなりね。「僕の兄も、姉も(注:これは弟か妹かも)僕に話しかけてくれないけど、僕は彼らを責めたりしない。」っていう歌詞は面白いプロダクションスタイルがあるからこそ何度も何度も繰り返し歌う事が出来た。そうしないと歌が生まれないからね。きっと作詞の仕方を正当化しようとする方法を思いつこうと頑張ったんだと思う。このような歌詞をありのままにして、ピアノだけであわせてもうまく行くはずは無かった。小さくて、ほとんど俳句みたいな曲をある程度加える必要があったんだ。




PF:異なったたくさんの創造の衝動みたいなものを軌道に乗せなくてはならないという重荷をいままで感じた事はありますか?


JB:影響を得る自然な方法があるんだ。決まったクラブに行って、家に帰って決まった方法で一週間かけで曲を書いている事に気づく。それか、(Joy Orbisonと)音楽を何時間か聞きに行って、自分が三時間前に居た場所でかかっていた音楽と違うアプローチで、モノマネをするんだ。多分他のミュージシャンも同じような事してるはずだよ。僕は決まった瞬間にかなり強いアクセントを置くけれどね。小さな瞬間が、まるまる一ヶ月の作曲作業のを思いっきり変えてしまう事もあるんだ。僕が(ベルリンのテクノナイトクラブ)Berghainに行ったときは、かなり影響されたなあ。


PB:どのように?


JB:その前は、僕はFWD(ロンドンのダブステップのナイトクラブ)にたくさん行っていたんだけど、誰かがミニマルなテクノレコードを10分間聞いてるなんて想像できなかったんだよね。10分ってすごく長いじゃないか。もし僕らがいまここに座って、10分間何も言わずにいたら、一生で一番長い瞬間だと感じると思うよ。でも、ぼくがBerghainにずっと長い間いて、外に出たらもう昼間だった。ドラッグをやってるわけじゃないけど、その時のことほとんど思い出せないんだ。信じられないよ。

それで長い曲を書こうとは思わなかったんだけど、グルーブの重要性とドラムを使うという原始的な衝動を再認識したんだ。この気持ちをちょっとの間失っていたから。フォーク系のライブをいくつか見に行って、「あー、いいや。ドラムなんかいらない。綺麗なメロディーと楽器一つでどこまでできるかやってみよう」って考えてたから。僕ってそれぞれの期間に影響された違ったアイディアを行ったり来たりするんだ。

「誰かが僕に『ダブステップを作ったクラシック音楽のトレーニングを受けたピアニストがいるんだ。』っていったら、僕は多分最初『うーん。どうだろうね。』って考えるね。」


PF:ダブステップに傾倒するまえは何を聞いていたんですか?


JB:ソロのピアニスト。五年間、Erik SatieやArt Tatumなどを聞いて過ごした。Art Tatumは変なんだ。全くの技巧派なんだから。一度、ピアノを高速で弾こうとした事があって。彼がやっている技能をちょっとでも手に入れたかったんだ。でも、自分なりに演奏しなければ行けないと気づいた。もし誰かをコピーしてたら誰からもリスペクトされないからね。でもArt Tatumをきくとね、具体的で派手な演出や演奏法の中に、彼の時代の現代音楽家が誰も使わなかったハーモニーの術にたどり着くんだ。それが彼の本質的な技だったんだね。これを僕は手に入れたくて、だから僕が書いた音楽のコード使いはそういう風なんだよ。いくつかは伝統的なコードじゃないけど、全く違う方向にシンプルで美しい和音を使う事もある。僕らは人間として、シンプルにドの三和音みたいな調和級数を愛するように最初から決められているんだから。


PF:クラシック音楽のトレーニングを受けたピアニストであることは、作曲や録音の助け、あるいは妨げになりましたか?

JB:もしその知識をうまく使う事ができなければただの妨害的なものだよ。誰かが僕に『ダブステップを作ったクラシック音楽のトレーニングを受けたピアニストがいるんだ。』っていったら、僕は多分最初『うーん。どうだろうね。』って考えるね。なぜかというと、クラシックのトレーニングを受けたって、クリエイティブじゃないって事とほぼ同じだと思うんだ。だれも不快に感じないといいけど、これは本当の事だ。世界中のクラシックの音楽学校にいっても、君の頭をぶっ飛ばすようなクリエイティビティを持った人を見つける事はできないね。


PF:(学校は)システムや組織、物事のプロセスを強制的に課している風に感じます。


JB:その通り。でも僕のトレーニングは週に一回ピアノの先生がレッスンをしてくれるものだった。ロシアの才能があるピアニスト達と学校で習っているわけではなかったんだ。かなり普通だったよ。ピアノレッスンがあって、全部の級をこなしていった。でも僕はいつでも音楽に真剣で、小さい頃からクラシック音楽が僕のやりたい音楽ではないと分かっていた。あらゆるハーモニーの基礎なんだ。Art Tatumは彼の生きた時代たくさんクラシックをやったけど、(Vladimir) Horowitz、世界で一番のクラシックピアニストの一人、みたいな人が彼のジャズを聞きに行って技能に驚いたって言うね。それを読んだ時に、クラシックが最終的なゴールじゃないんだって気づいたんだ。

このようなジャズミュージシャンの全員がクラシック音楽のハードルを乗り越えられなかったのは、彼らが独自の道を行き、ジャズも他のものと同じように美しいものだと気づいたからなんだ。でも、まだクラシックには素晴らしい曲があると思うよ。Erik Satieはジャズと呼ばれてもいいくらいだ。それで「なんでみんなピアニストをジャズかクラシックでしか呼ばないんだ?」て思うんだよね。僕は学校でたくさん曲を弾いたけど、みんな僕の事ジャズピアニストって呼んで、いつもむかついていた。僕が今ソウルシンガーが呼ばれてるのと同じだよ。僕が意志的に分類できないものになろうとしているわけじゃなくて、こんな流行の一部になりたくないときは「僕はソウルシンガーだよ」「ジャズピアニストだよ」「クラシック音楽家だよ」なんて簡単に言えないんだよ。


(続く)

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