Kate Bush/ Director's Cut
このアルバムは厳格に言って新しいKate Bushのアルバムではない。頭を悩ませるほど待たされる、Bushのレコード発表周期に慣れてしまっているファンにまず警告しておく。Director's Cutが最初に発表された時、彼女のアートロックのおとぎの国から予定より一足早く最新作が伝達されたのだからありがたいことだった。代わりに、この作品は彼女のやや賛否両論の作品が多かった時期を再考するものとなった。Bushはアーティストとして一度市場に出された作品に対してあまり特別な感情を持たないと口にしていたのに。
Director's Cutは1989年発表のThe Sensual Worldと1993年発表のThe Red Shoesの曲を変身させたものである。何曲かは、重要な要素(リズムトラックやボーカル)が再録音されている。ある場面(たとえばゲストパフォーマンスなど)は変えず残されている。まれに、一曲丸ごとリメイクされている。聞き慣れた、とても時間に縛られ、あまり新しくなく、またファンが数年聞き続けてきたものではない作品の誰も予期しない大きい再生を行ったのだ。Director's Cutのミックスの大きな違いは音色だけではなく、多くの曲で感情の胎動も変化させた。レコード上では活発な、人見知りの女性から過去生み出された作品が今では、多くの場合で落ち着いていて、思慮深く、内向的なものになった。
The Sensual Worldが最初発表された時、現代的な作品にも、時代遅れな作品にも見えた。きらびやかなスタジオワークに拘ったプロダクションは正に時代に沿っていたし、Fine YoungやINXSのような活発なドラムとリバーブを聞かせたポップの流行に適していた。しかし、曲やBushのパフォーマンスは彼女はやはり同じ型でアプローチしていることをくっきり思い出させてくれた。オペラのような歌唱、プログレ、ジャズ色を帯びたカンタベリーのサイケデリックシーンのような複雑性、Peter Gabrielを巨大なラッパスイセンみたいに変装させてしまうほどの演劇性は変わらずだったのだ。それは不思議な混合物だった。滑らかで怏々しい80年代の音楽が70年代プログレで顕著だった複雑な曲構成と表現主義が合わさるのは変な感じだった。レコードのほとんどの緊張は、生々しい感情的な奇妙さがいつ現れてもおかしくない、キラキラした聞きやすいポップソングから感じる事ができた。彼女はその瞬間を演じていたが、それに流される事は出来なかった。
The Red Shoesが発表される頃には、アルバムのプログレ構成、ゲストのギタリスト、ワールドミュージックの感覚、あらゆるポップミュージックを洗練させる技をつめた音楽性は、生々しく「本物」を求めたオルタナロックにフィットするにはBushはすこし飾り立てすぎていた。(注:Nirvanaを始めとしたガレージがはやっていた頃)
また、彼女の70年代、80年代に活躍した仲間達と肩を並べて居座るにはまだ反抗的すぎるてらいもあった。他のアーティストは心地よい、安全な、もの柔らかなシンガーソングライターの位置に移っていたからだ。彼女の時代はまだ終わっていなかった。彼女自身がジャンルの一つになっていたのだ。あの時、誰も彼女のような音楽を誰も作っていなかったことを無視する事はできないけれど。アダルトコンテンポラリーのがちゃがちゃした感触と上品ぶったフォークの感触が露なエロティシズム、怒りや楽しさをさらけ出した。Bushは言葉にならない不気味さを吐き出したり、恍惚に吠え跳ねた。
BushがDirector's Cutで完成させたのは、簡単に言うと、これらの曲から80年代っぽさを無くしてしまうことだった。(90年代に発表されたThe Red Shoesにも同じ事が言える。)ドラムの存在感とデジタル処理は音楽を即座に古臭くし、聞きやすさと深い個人的な世界の明らかな対比を浮き上がらせてしまっていた。今回、この二つを穏やかなリズムトラックを、暖かくもっと親密な空間に置き換えた。オリジナルの“The Sensual World”ではケルト音楽からアイディアを得た要素がデジタル処理された世界の中へ乱入していた。君がもしオリジナルを面白い配合だとと感じたり、新古が変に混じった物だと感じていたとしても、新たに名付けられた"Flower of the Mountain"ではこのような粗暴な要素はもう排除されている。曲はまだ、バンドが一緒に演奏している感覚が無いが、新たな統一性があり、愛らしく手作りされた音の合体した要素が感じられる。"The Red Shoes"は同じくケルト音楽に影響されているアルバムの目玉曲で、Bushの一番ワイルドなパフォーマンスの一つである。新たな激しさを得ることが出来たのは、バックの音が独創的に進化したからである。しかし、このつなぎ合わせの作業の全ての要素が完璧に仕上げられているわけではない。"And So Love Is"の奇妙なキーボードの感触ーGang Gang Danceが好んで使うようなキッチュで酸っぱい80年代のサウンドーが今回の新たな環境で驚くほど自然になじんでいる。しかしEric Claptonのブルース風のギターのかき鳴らしがさらに浮いて聞こえ、スタジアム級の怒号がこの手作りの世界にはなじんでいない。確かに緊張感を生んでいるが、間違った類の緊張感になってしまった。
いつも驚かされるのはその歌声である。Director's CutでのBushは今までのどんな個性的なアルバムよりも自分の声を自慢しようとしていない。声の域の幅広さとそれを使う事を恐れない事で知られる女性としては、彼女の今回のパフォーマンスは感情が常に調整され、多くの場合低いキーで歌われている。Director's Cutの多くの曲の中でその違いに驚かされたのは"This Woman's work"だ。悪い意味ではなく、この曲はBushの曲で一番人を立ち止まらせるような力を持った曲なのだが、それが新バージョンでは何かもっと悲しく、歌手自身が愛に打ち破れないように自分を制しているような印象を与えるもの変化したからだ。バックの音はほぼミニマルでさらに深く、楽器の感触は力強いものになっている。急かされた一人ぼっちのBushがまるで広大で孤独な空間の中で流れているように聞こえる。しかし、オリジナルの子供っぽいメロの部分がコーラス部分で成長した女性になりたいと望む展開も、Bushは今回はバランスよくペース配分している。歌詞の深い後悔をディーヴァのような劇的な表現よりも抑えられた表現と音色で通じ合わせている。この曲はアルバムのほとんどの曲がそうであるように孤独で、親密だ。Bushの初期の作品の殆どは大胆で華麗な演奏がされていて、優しく、獰猛な部分があった。
さらに年を取って落ち着いたBushはまれにメロドラマ調にブレーキをかける事があるが、この新しく編集された曲によって、彼女を愛憎の存在にしたその恥じない堂々とした姿勢は変わらなかった。Director's Cutでは若かりし頃と後期のアーティストのキャリアを比べるユニークな機会を与えてくれる。どれを好むかはきっと、君が自分の力を熟知して仕事するさらに自信がついたアーティストか、ポップの伝統をねじ負けようと活気に満ちている元気のいいアーティスト、どちらかを気に入るかによるだろう。
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