2011年6月12日日曜日

Suck it snd See/ Arctic Monkeys

Arctic Monkeys
Suck It and See


7.5

— Marc Hogan, June 9, 2011




無愛想な10代のバンドがオンラインで音楽を無料配信して音楽業界の決まったセールス方法の高をくくり、CDの売り上げがどんどん減少している時代にも関わらず、レコードをなんとか売り上げている。これは最近では良くある話だが、Arctic Monkeysの以前の早熟なアルバムWhatever People Say I Am, That's What I'm NotはUK史上初のデビューアルバム売り上げ最高速度を記録した。2006年はまだ"MySpace "出身のバンドがまだもてはやされていた頃だったにも関わらず。現在、ニュースコーポレーションがMySpace、Bandcamp、Tumblerなどの音楽関係の記事が多いソーシャルネットワークサービスを売り出そうとしているが、シェフィールド出身のこのバンドの最新作は、もっと伝統的なアプローチで勝負している。

Suck It and SeeはArctic Monkeysの四枚目の作品で、今までで一番評価できる作品だ。しかし、ブログで話題にする代物ではない。Facebookのステータスを更新する時や、完璧なつぶやきを考えている時に聞いてしまうと、きっと何か重要な物を逃している気分になるだろう。まぁ、何をしているにしろ、それは起こりえるだろうけど。例えばタイトルを見てみると、間違いなくこれは部分的にアメリカの観客に向けた、意図された挑発であろうことがわかる。イギリス人はこのタイトルを"Give it a try"(試してみろよ)と間違って理解するだろう※。しかし、このレコードは永遠に聞いていられるような細かいディテールに溢れ、怠惰と、傲慢な所はフロントマンAlex Turnerの良く練られた歌詞とバンドの熟練した演奏に表れている。この音楽性はマッチョなグラムロックスタイルと、キラキラしたインディーポップのバラード曲まで及んでいる。西部劇や退屈な天気についての観察の裏には、思想に富んだロマンスや大人になる事へのテーマが隠れている。

※Suck it and Seeは直訳すると「舐めてみればわかる」というエロティックな意味合いを感じられます。AlexはタイトルについてNY TIMES紙のインタビューで"Dick Van Dyke"風の古い英国主義っぽさを出したかったとコメントしています。アメリカ人への挑発、というのはその理由でしょう。

「きっと五年以内にはみんなが「Arctic Monkeysってなに?」って言ってるさ。」と五年前にTurnerは言った。それに適して、Suck It and Seeはバンドにとって再出発的な作品となった。2007年の傑作Favourite Worst nightmareはSimian Mobile DiscoのJames FordがプロデュースしたArcticsの初めてのアルバムで、感情や音のパレットを埋める事に成功し、音楽的にも強化した。2009年のHumbugはQueens Of the Stone AgeのJosh Hommeが参加し、予想していた通り、たくましく、くつろいだ作品となった。他には、Turnerのシャウトを聞かせた声を甘い歌声に成熟させた2008年のサイドプロジェクトThe Last Shadow Puppetsがあり、Richard Ayoade監督の映画、Submarineではサウンドトラックを担当しアコースティック調を聞かせた。新しいレコードはFordプロデュースで、Hommeが"All My Own Stunts”という曲でバックボーカルとして
マッチョな声で参加している。このアルバムはそれぞれの経験を活かし、全てをバンドの次のレベルへ昇華させている。自信に満ち、メロディーに優れ、今まで以上に巧妙に演奏されている。

TurnerはNick Cave, The Byrds, Nick Lowe, David Bowie, Leonard Cohenに加えカントリーの大御所Johnny Cash, George JonesとPasty Clineが今作の歌詞に影響を与えたと答えている。彼が一番はっきりしている時(それでもかなり曖昧なんだが)、Suck It and Seeに侘しいユーモアのセンスがあり、彼が冗談をついていないと証明している。それがバンドメンバーの趣向にあるBlack Sabbathのリズム感覚やStooges風の攻撃的な演奏によって曝け出されている。音楽的に、ドラマーのMatt Heldersがバンドの「まあまあな秘密兵器」として残っていて、ネガティブな精神状態や嘘っぽい純粋なワルツを表現している。Sean Combsは彼を何度もDiddy Dirty Moneyに招待しているし※。

※P.Diddyのグループ。ドラムとして参加している。

引用したくなる歌詞が何度も出てくるし、バックの演奏はかなり洗練されていて一回聞いただけでは気づかないだろう。"Don't Sit Down 'Cause I've Moved Your Chair"はタイトルに値した(「君の場所はないからそこに居座るなよ」)威張り散らした感じのブーギーで、そこに居座る事よりも安全な、危険なアイディアを排除している(「マカレナを悪魔の巣窟で踊る」みたいな、いつもの感じの)。勇敢な叙情詩風の“Reckless Serenade"には「上半身裸のモデルが手旗信号を送っている/歩きながら旗を振り、無視されている」という歌詞から始まる。他に、Turnerは彼の胸中をしっかり隠しているために、歌詞の文学的な意味を解明する事は多分不可能だろう。しかし、彼の破綻した歌詞のイメージ像はまだかなり魅力的だ。アルバムの楽曲は多くの場合さらにヘヴィーで、ぼやけている。"Black Treacle"は西部劇「明日に向かって撃て」のようで、「夜の空にへそピアス」といった景色を喚起させる(Turnerはかなり慎重に言葉選んでいると思わないか?「さあ暗くなってきた、空はベトベトしている/タールよりは黒い糖蜜のように見えるな」、という感じなのだ)。"The Hellcat Spangled Shalalala"は記憶に残る印象的なメロを、そう"Sha-la-la-la"とコーラスする。"She's Thunderstorms"は荒々しく、魅惑的な女性をテーマに同じように荒々しく演奏している。しかし、ぎざぎざの複雑な"Library Pictures"だけが興味を惹く事に失敗している。

メインストリームを"I Bet You Look Good on the Dancefloor"という曲で突破したバンドにしては、Arctic Monkeysはいつも静かな優しい瞬間の表現に優れてきた。Suck It and Seeにもその瞬間がある。心を痛ませる"Love is a Laserquest"では失恋の感情を過去のスロウな曲"Do Me a Favour", "Cornerstone", "A Certain Romance"と同じように容赦せず叩き付ける。かなり違ったバンド、Fleet Foxesの"Helplessness Blues”に一貫した同じテーマがこのアルバムにも流れているのだ。「君が昔そう思ってた頃よりまだ若いって感じてるかい?」と最終曲"That's Where You're Wrong"(そこが間違ってる)で、LCD Sound Systermの"All My Friends"でのどんどん盛り上がって行く2コードのフォーマットを辿り、過ぎいく日々への心配を深めていく:「自分の事のように心配しないでくれ、ハニー/年をとったのは君だけじゃないんだよ」ブログでは見かけない何かがここにある。あまりにも早く成長し、素晴らしく年をとったバンドが。

原文:Suck It and See/Arctic Monkeys, Pitchfork





2011年6月9日木曜日

David Byrne インタビュー Part II





Pitchfork(以後PF):Stop Making Senseのライブ映画とツアーで得た偉業を考えると、あなたのパフォーマンスは演劇風であるという点で、バーを高くしなければならないという義務を感じますか?

David Byrne(以後DB):イエス、そしてノー。確かにあのツアーをどこか演劇風に仕上げたかったけれど、その前のツアーでは僕はストリング隊を使用して、劇的な要素は一つもなかったんだ。音楽の問題なんだよ。だから、僕の予算でどう賄おうかいろいろ考えて、何千万の人間がやった事が無い事をやろうと頑張っているんだ。Stop Making Senseは誇りに思ってる。けれど、ちょっとした飛躍だった。あれと競う事はできないよ。無視する事も出来ないけどね。

PF:あの映画は独自に一人歩きしていますね。

DB:そうだね。ちょっとの間、まるでツアーが絶対終わらないように思えたんだ。映画はずっと観られ続けている。何人もの人が実際のライブショーを見る以上にあの映画を見たんだ。あの映画では、2500人が収容できるシアターで演奏して、アリーナとかスタジアムとかいっぱい人が入るような所じゃなかった。僕らはライブで荒稼ぎするようなバンドじゃなかったけれど、成功していたし楽しかったよ。実のところ、多くの人があれは本物のライブじゃなくて、(監督の)Jonathan (Demme)がステージ上で造り上げたものだと思ったみたい。

PF:Rise, Rise, Roarに移って、あなたのホームスタジオが見れた事とBrian EnoからE-mailで音の要素をもらって、Everything That Happens Will Happen Todayに吸収させているのはとても興味深かったです。インターネットで長距離から誰かとコラボレーションすることの利点と欠点はなんでしょうか?

DB:今はたくさんやっている。最近Will Oldham(Bonnie "Prince" Billy)と何曲かそれをしたんだ。それが一対一だと結構簡単なんだよ。とくに欠点は見つからないな。自分の立ち位置をわきまえて、それぞれの領域に侵略しなければ良いんだ。ある部分で、(ネットを通して)データを行ったり来たりさせるのは、スタジオでのレイヤリングに似ている。けれど、作業を何分かに分けるんじゃなくて、時間と距離を引き延ばしているだけなんだ。

多分あのレコード(Everything That Happens Will Happen today)は僕が観客のサイズを予想できると考えた初めての作品だった。ほとんど自主制作だったしね。だから、レコードをこの方法でつくることで、多額な費用を使わずに済んだ。経費はかなり低かった。だからレコード会社に「録音の費用を払わなければ行けないんです。」って言わなくてよかった。

Stop Making Senseは誇りに思ってる。けれど、ちょっとした飛躍だった。あれと競う事はできないよ。無視する事も出来ないけどね。


PF:スタジオにお金をかけずに、自分がしたいと思うことが出来る機材はそろっているのですか?なにか限界を感じる事は?

DB:まあ、あのアルバムでは本当のスタジオでミックスをしてもらったよ。ブラスや、生のドラムや他の作業、ラップトップじゃやりきれないことをスタジオで録音する期間もあった。僕はバンドが二週間も三週間もスタジオにこもって録音するの見るといつも驚いちゃうんだ。「どうやって払うの??」ってね。でも僕の友達に、町の外へ出て、NYのスタジオの10分の一の価格で貸してくれるスタジオを探す奴がいる。そこで録音するんだ。納得だよね。

PF:Byrne/Enoツアーの踊りや振り付けはどれくらい関わったんですか?

DB:僕の提案はかなりゆるかった。最初の方でダンサーっぽい感じに見えるのは嫌だなって行ったのは覚えてるんだけど。なにか達人芸ができるならば、ちょっとずつそれは採用してほしかった。できるだけダンサーをバンドと馴染むようにしたかったんだ。彼らがやっていることは僕らがちょっと筋トレしたら多分できるようなことだから。

実際の振り付けにはツアーが始まるまで無干渉の姿勢を保っていたんだけど、もっといろいろ付け足したかった。(振り付け師の)Annie-Bの僕らがオフィスの椅子を持って回るようなあんなようなやつ。僕らは「オフィスチェアーが舞台裏にいつもおいてあるけど、使っちゃだめ?」って感じだった。そして、ミルワーキーに二人でDeerhoodを見に行って、ライブの最後彼らはギターを持ち上げて15秒間フィードバックがあったんだ。僕は「すごいな、ギターで新しい踊りをやってる。僕らもやろう。」って思った。あとはわかるでしょ。

PF:つまりツアーの途中でどんどん築き上げて行ったと。

DB:そうそう、足して行って、バンドと、歌手と、ダンサーをもっと近づけたんだ。ダンサーの一人がギターを弾いていたって知った時に、「ああ、あの曲ギターをもう一本加える事できるなあ」って言った。僕は色んな物をくっつけるから、一つのグループがどこで終わってまたどこで始まるかわからないんだ。絶対にドラマーは立ち上がって踊ったりしないよ。多分ね。

[完]
原文:Pitchfork David Byrne Interview

David Byrne インタビュー Part I




David Byrne インタビュー
by Mark Richardson, June 8, 2011


彼のTalking Headsでの初期の本能的なライブパフォーマンスについて、David Byrneは最近のインタビューで我々に「全てを放り投げて、ゼロの状態から始めたかった」と教えてくれた。伝統を無視した態度で彼は30年以上もやってきた。パイオニア的な1984年発表のコンサートフィルム”Stop Making Sense"でそれは特に顕著であり、彼はライブを実験的な演劇風の仕立てで行い、一般的なロックコンサートのコンセプトをぶち壊した。

David ByrneとBrian Enoのツアーで2008-2009年のByrneの曲のために、このモダンルネッサンス男は再び驚くほどオリジナルなショーを考案した。奇妙な踊り、世俗的なファンク、しかもオフィスの椅子まで準備していた。この困難なツアーの様子はHillman Curtisという映像監督によって記録され、舞台裏やバンドメンバーへのインタビューを含む、最近DVDにもなったRise, Rise, Roarとして映像化した。マンハッタンの彼の家で、Byrneは我々に初期のコンサートの経験のこと、Stop Making Senseの遺産、そして彼の心が広いステージ上でのアプローチについて語ってくれた。

Pitchfork(以後PF):あなたがライブパフォーマンスは別に普通じゃなくてもいいと学んだコンサート経験はありましたか?

David Byrne(以後DB)
:僕が高校に居た時、凄腕ギタリスト達が組んでたブリティッシュブルースロックタイプのバンドが居て、一曲で30分間もジャムをしてたんだよね。ああいうギタリストには驚かされたし、僕にはあんな事できないやってすぐに思ったね(笑)あの時代は他にもMemphisやMotownの曲をカバーするバンドをいくつか見たよ。彼らはステージ効果を使っていたんだ。あるバンドは紫外線のライトをつけてね、みんな白い手袋をしているんだ。だから演奏中は白い手袋しか見えない。もうほとんどミンストレルショー※みたいだよね、多分そうだったんだろうけど(笑)でもさ、「あ、あれ見てみろよ!」って、ただのバンドの演奏じゃないから驚くよね。

「Talking Headsを始めようって頃には、僕は全てを投げ出してステージではゼロの状態から始めようって感じてたんだ。出来るだけゼロに近いところまで装飾を外して、そして自分の物にするんだ」

70年代初期には大学ですごいJames Brownのショーを見た事を覚えてる。彼は女性のダンサーを二人かまえて、左右に一人ずつステージ立ってるんだ。Go Goダンサーみたいなかんじで、ただ踊ってるだけだった。僕は、「すごい。彼女達は音楽的にはなにもしてないのに、ショーのためだけにああいった女の子達を雇ってステージに立たせるのが彼にとって大事だったなんてすごいな!」って思ったんだ。メモもとってある。

そしてTalking Headsを始めようって頃には、僕は全てを投げ出してステージではゼロの状態から始めようって感じてたんだ。出来るだけゼロに近い所まで装飾を外して、そして自分の物にしようって。実験的な演劇にはそのもうちょっと後で気づいて、少なくとも僕が見たロックショー全てと同じくらい大きく影響を与えたよ。

PF:僕もそれを聞こうと思っていたんです。というのは、その時代、特にNYでは音楽と、演劇と、パフォーマンスとダンスの境界線というのはあまりクリアでは無かったですから。

DB:全部がぼやけていて、ファンキーだった。アプローチが可能のようだったし、僕にも絶対出来ないはずがないと思った。また、どこか達人的で、完璧主義で本当にかっこよかったんだ。僕はそう言う物に心を惹かれる。

PB:ロックショーのしきたりや定型はかなり決められていて、保守的なのを考えると興味深いです。バンドが出てきて、演奏して、アンコールでまた出てきて、それでおしまい。こういったしきたりに飽き飽きした事はありますか?

DB:時々ね。シューゲイザーやラップトップのせいで、バンドが観客とあんまり接しないっていうのが問題だよ。ある点で、きっと「この人がやってる事素敵。でも次は家でレコード聞いてればいいかな。」ってなるよ。

(ByrneとEnoの)ツアーでは、ダンサーの一人がオクラホマで撮影されたR.KellyのライブのDVDをくれて、僕は見て思ったんだ。「こりゃすごいな」って。もういかれてるよ、ほんとに。六分間女の子達が喘いでるモノローグがあって(笑)、彼は役それぞれに合わせた声でTrapped in the Closet※をやったんだ。「うわ、これはすごい革命的な音楽のステージングだな!しかもロックの世界の事じゃないんだ!」って思った。Trapped in the Closetの演出は気に入ったけど、でもあそこまでやる自信は無いな。

それで、James Blakeを先週見に行って、きっとラップトップ使ってるだろうと思ったんだけど、そうじゃなかった。視覚的なショーではなくて、リアルなパフォーマンスだったんだ。感動したし驚きもした。彼の使うあのロボっぽい単語の繰り返しが積み重なっていって、感情的な呪文になるんだ。ちょっと深く考え過ぎかもしれないけど、ただのエレクトロじゃないっていうのは本当に素晴らしいよね。実際にどこかに人間の心が感じられるんだ。

PF:ほかにあなたが面白いパフォーマンスをやっているなと思う若いバンドはいますか?

DB:最近Nellie Mckayを見たんだけど、彼女は死刑囚監房にいる女についてのキャバレーショーをするんだ。彼女の曲は全部スタンダードで、どこか変だったり、軽い感じがするんだけど、テーマはすべて死についてなんだ。音楽的には、キャバレーの設定に適した物になっているけど、内容がただ場違いな感じがする。彼女が観客の期待をそうやってひっぺり返したのはすごいことだよね。

※Minstrel Showとは通常黒人に扮した白人が黒人の歌や踊りを演じるショー
※Trapped in the ClosetはR.Kellyのミュージカル風の作品でチャプター22まで続くメロドラマ。映像作品としてリリースもされている。



Rise, Rise, Roar予告編




※以前のJames Blakeのインタビューで、彼はラップトップが嫌いということを言及しています。
→James Blake Interview Part III

2011年6月8日水曜日

J Mascis:Daytrotter

Alone Is Not A Death Sentence, But Quite The Opposite

Jun 6, 2011

Words by Sean Moeller
Illustration by Johnnie Cluney
Recording engineered by Matt Oliver
Mastered by Sam Patlove
Translated by Teshi

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今日Jack Kevorkianが死んだというニュースが入った。幾度か病気になっていたために、彼にはDr. Deathというあだ名が付けられていた。最近ひどく病状が悪化し、肺炎と老衰のためについに亡くなった。彼はどんな人よりも死がくる事を理解していたし、ただ待つよりも素早く死を迎える方法があると知っていた。彼は20年以上も生活の質が夢見た物と違うという人々のために奉仕したと主張し、慢性の悪化するしかない病気に苦しんでいた。今日、Kevorkianの弁護士の一人がNational Public Radioに話した所、ほとんどの人々は肉体と信念の点で偽善者になると考えると指摘した。死が近づいていると知った時も、彼は自分で命を終えたりしなかった。自分の健康が危険な状態で、醜いシミみたいな存在になり、以前のような可哀相な人間の一部となってしまっても、自分で命を殺めたりしなかったのだ。突然自分がグロテスクな失敗作になってしまったとしても。「彼は自分で息をひきとろうとしなかった」と弁護士は理由を説明した。なぜならばみんながそれぞれの状況や個人的な理由で死と立ち向かうからだ、と。ある人は大きな手で死を迎え入れ、ある人は死に見つけられようとする。どこに隠れていようが、死は居心地がいい場所に好きなだけ居ようとするからだ。

※Jack Kevorkianは末期的安楽死を提唱した元医師。総計130人を安楽死させ「死のドクター」「死のカウンセラー」などと呼ばれた。自殺装置を開発したことでも有名。

J. Mascisはマサチューセッツ出身のグループDinosaur Jr.のギタリスト、リードシンガーとしてよく知られている。彼は自分から進んでいき、どこにいようが死に「終わり」を探させるような男である。 彼は寂しさや絶望について、愛してる人について歌うように歌うが、またかなり問題を抱えているようにも見える。一人になりたいと願う事は、死にたいという願いとは違うのだ。彼はただ心の安静を求めている。頭の中に友達が居て、彼を眠りに誘い込むハミングを歌ってくれる、そんな静けさを願っているのだ。このような歪んだ様々な影が彼の元へMr. Sandmanのようにやってくるのだ。

※Mr. Sandmanは眠りをもたらすとされる妖精。

Mascisの新しいソロアルバム“SeveralShades of Why"は誰かのトラブルや、失敗や考えに振り回されないで住む場所を見つける事の栄光の賛美歌だ。自分の時間で何を終わらせるべきか指示が出来る、そんな場所だ。彼は部屋の中に引きこもり、周りに何の魂もなく、自分の孤独と生きる、そんな才能を大事にしている。ラリったときの夢の場所かもしれない。彼は全ての物事の普遍的な一時性、長くは続かない事について歌っている。一生側に居るものは無いんだ、そしてそれでいいんだ、という事を。孤独である事の情熱と命についてのテーマはアルバムを通して続くが、Mascisがこの作品について悲しそうな風にはほとんど聞こえない。"Alone"という曲は、この眠そうでうるさい曲の中でアルバムの軸をなしてると言えるだろう。人生で必要な物に対しての、美しい考察がされている。彼はきっと毎日同じ物を食べて、同じTシャツを着て、同じ場所に行き、同じ人と会ったり会わなかったりするんだろう。そしてもしそのパターンと慣習があれば、もし自分が去ったときより混んでない場所に戻れるのであれば、永遠にそんな生活を繰り返すのだろう。彼は朝のコーヒーやその日に起こる事全てを楽しみにする人間であり続けるかもしれない。彼は運命や増え続ける細胞が許す限り生き続ける事が出来るのだ。死の方からやってこればいい。彼はEdie Brickellの"Circle"でこう歌う。「辞める/あきらめる/もう誰を満足させる事できないんだ/どうも/一人でいるのが最良のようだ/僕が一人のとき、それが一番いい」そしてこの男に反対を唱えるのはけっこう難しい。

J Mascis Official Website

試聴とダウンロードはこちら→
J Mascis/Daytrotter

Cults/Cults




Cults
Cults


— Joe Tangari, June 6, 2011

8.5


去年Cultsが"Go Outside"で初めてネットに現れた時、まるで野火のように広がっていた。キャッチーでスイート、誰でも歌えるようなメロディーでオフィスに閉じこもっていたり、ネットに夢中になっている人々にとって完璧なシンガロングな曲だった。でもそんな「みんなの歌」をバンドは飽きられる事無くどれだけ作る事が出来るだろうか。Cultsはそんなこと気にしていないようだ。"Go Outside"はこのデビューアルバムに収録されていて、まだ一日必要量のビタミンDを与えてくれるように元気なトラックだ。しかし、この曲の夢のような流れはバンドの器用さとカラフルで記憶に残るアルバムを作る作曲能力がある事を証明する一つの側面にすぎない。

CultsがColumbiaと契約する事についての早さについて多くの事がすでに語られてきた。まるで彼らがメジャーでデビューアルバムを発表する初めてのバンドのように扱われていた。このような急速な上昇は別に真新しい事ではないが、それと同時に入ってきた予測、オンライン上で彼らが「一発屋」になる運命だと言われていた事は今では酷い見当違いだったことがわかるだろう。バンドのアピールポイントの中心に、歌い手Madelline Follinの若々しいアルトの歌声がある。彼女の出す音色は早熟の10代後半の女の子がPhil SpectorのBack to Monoとここ三十年分のピークに達したインディーポップに熟練したバンドのフロントをしているような、そういう印象を作り出す。彼らの音の60年代ガールポップの要素は表面上かなり顕著である。“You Know What I Mean"のメロディーはThe Supremesの"Where Did Our Love Go"から拝借している。しかし、彼らは21世紀の音楽で、シンセとギターと、柔らかくくっつけられたサンプルでカッティングをしてみせたのだ。

もし彼らがカルトに対して大きな問いかけをしようと決めたのであれば、カルト団体のリーダー達がそれぞれの信者に話しかけている場面のサンプルは気が散る部分になりえた。しかし、それらはアルバムの音の生地にきつく編み込まれていて、「謎解き」が出来るように様々な形に処理されている。これによってリーダーのスピーチは効果的な音のテキスチャーに変化した。これは"Oh My God"のイントロで跳ね回る。元々はAdult Swimのシングル発表の一部として去年リリースされていたが、今作のために少し再編集されている。音楽そのものは変わっていないが、ビートの圧力があがり、ミックスの前方にベースが動かされ、メロディーを支える強力なグルーヴを曲に与えている。Follinの歌詞は必要以上に深いものでなければ、彼女はみんなが共感できる歌詞を書く。(「私はいつでもあなたをおいて逃げて行く事ができるの。私の人生の計画を知ってるなんて言わないでよね。」)

これがアルバムを通して現れる短気な性格を作り出している。”もう(あなた以外)誰もいらない”という"Never Saw the Point”の歌詞は恋愛の終わりの一言かもしれないが、変にポジティブに考えてみると、これがレコードの主なメッセージであるかの様に感じる。永遠に明るい"Go Outside"も”私は自分の人生を行きたいし、あなたはただそこにいるだけ」という歌詞で終わる。これらは10代の感傷的な部分で、一旦10代半ばに入ると、言ったり考えたりするのも馬鹿らしいと感じるような事だ。しかし、これは人生で自分がどんな人間になるの考える瞬間に誰でも感じる普遍的な感情だ。Cultsのティーンミュージック(ガールバンド、50年代のプロムポップ、ベッドルームインディーポップ)から借りた要素は歌詞と共に小さな世界を作り出している。Follinがイライラして”ファックユー!”("Never Heal Myself"[絶対立ち直れない])と歌い、次はどこかに逃げたいと夢見る。さらに形式張ったポップの探求精神も青年期のメロドラマを盛り上げている。Phil Spector風ポップのレコードのアンセム級のオープナー”Abducted"は恋に落ちる事を誘拐される事に比喩して、もう一人のメンバーBrian Oblivionに誘拐者のボーカルパートを与えている。

30分強だが、
Cultsは完璧な長さに感じられる。バスに乗って学校(あるいは仕事)に行くのにちょうどいい長さだ。しかしもっと重要なのは、このアルバムは完璧にするべきことが成されていて、このグループに成長と成熟する空間を与えている。彼らはまた自分たちの音と、歌詞のテーマを今後様々な方向へ持って行く事が出来るし、それは若いバンドにとっていいポジションだ。Cultsは去年たった3曲で今年への期待を募らせた。このデビューアルバムでは十分それに応えている。

原文:Cults/Pitchfork






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